古来日本では、髪型で身分や職業がわかる時代がありました。現代では、髷『大銀杏(おおいちょう)』をするお相撲さんと、頭髪を剃る『剃髪(ていはつ)』をするお坊さんのみが、判断できる職業となっております。
お坊さんが信仰する仏教の教えは、一切行苦(一般的には一切皆苦)を知ることからはじまります。
一切行苦とは?…仏教の基本的・哲学的な主張を表わす文句のこと
「輪廻転生の世界にあって、己に関わりを有するものごとは、己にとっては苦である」という意味があります。
己への戒めとして「頭を丸める」ことは、悟りを開くことへの第一歩とされておりました。悟りには、俗世間の束縛や迷い、煩悩への苦しみから脱することなどがあります。
剃髪することは、俗世間から抜け出せるという考え方があり、それまでの暮らしでついた垢を綺麗にそり落とすという意味が込められています。
また、剃髪した僧侶が還俗して、髪を伸ばすことを蓄髪(ちくはつ)といいます。
仏教での「苦」は、「こだわり」がもとになっております。
「こだわり」は、何か事象があると生まれます。髪の毛があると、そこにとても多くの意識や時間を割かなければなりません。いろいろ雑念が起き思考や時間が奪われて、修行にも集中できないため、出家の際には、坊主頭にすることが当たり前のようでした。
剃髪は、宗派によりタイミングが異なります。
真言宗は、修行時、または数年に1度の大事な儀式に剃髪にします。剃髪にする理由は、こだわりを捨てたことを表す形だからのようです。
真言宗では、このように剃髪をする機会が結構あるので、普段から剃っている僧侶が多いようです。
禅宗(臨済宗、曹洞宗など)は、毎月4と9のつく日に剃髪します。
理由は、『上堂』と呼ばれる、偉いお坊さんの話を聞く修業が毎月5日、10日、15日、20日、25日、30日にあります。その前日に身を清めるという意味からのようです。
坊主は元来、お寺の住職のことを指しますが、次第にお坊さん全体を指すようになったと云われています。これらのことから、お坊さんが剃髪することを坊主頭と呼ぶようになったようです。
浄土真宗は、他の宗派とは異なり、妻帯が認められておりました。
また、伝統的に髪の毛の有る「有髪」を、一般的なスタイルとしています。宗祖の親鸞(しんらん)聖人が、非僧非俗(僧侶でも俗人でもない者)として、有髪で過ごされていたようです。
このことから、欲を持ち続けてしまうのが、人間のありのままの姿であるため、剃髪をする必要はないという考え方のようです。 ただし出家の儀式には、一部の派を除き、剃髪をしております。
宗派により、剃髪や有髪それぞれの考え方があるようです。
在家仏教のように、仏教は一部の特別な人達のものではなくて、一般の人たちの中にもあるという教え方もあるようです。
お坊さん自らあえて髪の毛を伸ばして表現しているところもあり、宗派ごとにそれぞれの考え方があります。
お坊さんが坊主頭な一番の理由は、「余計なこだわりを持たない」ことなのではないかと思います。